意見を発信する際の注意

自分の意見を発信することが重要だと感じている。

 

意見は正しいとか間違っている、というものではない。それぞれの人の意見が違っていて良い。意見が違うからといって、それが相手の人格を否定することではない。

色々な人の意見を見ながら、それに対して強く反撃をする人がいて、それほど攻撃的になる必要はない、と思う。

 

その一方で、意見であれば、どのような意見でも認められるのだろうか?

人格批判をするような攻撃は当然控えられるべきだけれど。

 

橋下徹さんのゼレンスキー大統領に対する批判には目に余るものがある。

橋下さんの意見には変遷があるが、その間に、自身の発言に対する反省が表現されていないように思う。

 

政治家ではあるものの、戦争は経験しておらず、その見識は、どちらかというと素人に近い。しかし、政治家であり、かつ、影響力があり、間違った意見が拡散されることには問題があるように思う。

 

そう。意見だけれど、間違っていると思う。

意見だから、正しいも間違いもない、というわけではないと思っている。

意見を持つにあたって、その前提となる事実がある。その事実が間違っている場合、意見が間違うこともあるのではないか。

 

ウクライナは降伏すべきだと橋下さんは言った。負ける戦争をして、市民の被害を生じさせるべきではない、と。

 

私たち日本人がイメージする降伏とは、GHQによる平和な降伏かもしれない。

しかし、ブチャで明らかになったように、ロシアは、恐怖で抵抗を抑止するために残虐行為に及ぶ。残虐行為が行われた後のウクライナ市民の表情から、彼らはこれを予測していたのだと思う。その上で、抵抗をしている。

 

まるで、想像の及ばない世界なのだ。平和な日本にいてはまるで理解できない状況。

それも仕方がないことなのかもしれないけれど、けれど、自分たちの知識が足りないことを認識したら、謙虚にならなければならないと思う。

 

意見を持つことも発信することも難しい。

十分に前提となる情報を収集しないといけない。

間違った意見を発信してしまった場合、それを修正しないといけない。

そう考えると、意見を持つことは、そんなに簡単なことではないと思った。