ロシアを悪者にすることは簡単である

河瀬直美さんが東大で語った言葉である。

 

これに対して、侵略戦争をする者を悪と言わずして何を悪と言う、という批判がなされている。

 

いや、まったくその通りではある。確かに、ロシアは悪と言わない考えはないと思う。

 

その上で、河瀬直美さんへの批判は的外れではないかとも思う。

その発言の全文を読んだ上で私の理解では、福はうち、鬼もうち、との発言にあるように、悪を自分の中に入れる、ただ外部にあるものとして拒絶するのではなく、自分の中に入れる、考え方があるということなのではないかと思う。

 

ロシアの残虐性には目に余るものがある。同じ人間だとはとても思えない。

しかし、人間は、ロシアのみならず、こういった残虐性を持ちうる存在なのではないか。

自分は、自分の国は、決して、ロシアのような残虐行為を行うことはない。

そう実感できるのは、とても幸せなことである。

しかし、過去に日本だって、侵略戦争に及んだことがある。経験はしていないし、ほとんどリアルに感じることなどできない過去のことではあるけれど、それほど大昔のことではない。

 

何が原因でそんなことになってしまったのだろうか。

一応の知識もあり、同じことはもう二度と起きないと思う。

けれど、二度と繰り返されることはないかもしれないけれど、抽象的に、人間とはそのような残虐行為に及びうる存在なのである。

悪者にする、というのは、それを自分の外側の存在として、批判の対象として、自分とは切り離した存在としてしまう、ということなのかもしれない。

そうではなくて、自分の中にも、自分の国にも、同じ過ちを犯す可能性があるとして、これを見つめる視点を持つこともできる、そのことを河瀬直美さんは言われているのではないかと思う。

 

ドイツがヒトラーを産んだのはなぜか。

アメリカは、菊と刀のように、日本文化を研究していた。

ロシアはとても受け入れられない。

けれど、ロシアの残虐性は、これから抑制していかなくてはならない。

その時、ロシアを悪者として外部に置くよりも、この残虐性を人間が持ちうるのだとして、十分な研究と理解を示すことで、効果的に抑制できるのかもしれない。

そして、将来、日本が道を間違えそうになった時にも、その視点は役に立つのかもしれない。

絶望的な気持ちになるけれど、ロシアを理解する姿勢を保ち続けなければならない、ということでないか、と思った。