母親の家事負担が重いについて

最近、母親の家事負担が重い、という発言が多く、Twitterなどでは、それが同じように感じている母親から高く評価され、一方で、これに対して男性側からも多様な批判が繰り返されている。

 

私としては、それぞれ、それなりに実態を伴った主張をしているのだと思う。各家庭の事情も違うので、母親の主張が真実のこともあるだろうし、男性側の主張が真実であることもあるだろう。

 

このように議論が盛り上がるのは非常に良いことだと思う。

今は、過渡期なのだ。この議論の中で、社会が変わっていっているのだと思う。

過去、女性が非常に辛い状況にあったことは本当だと思う。男性の労働時間は当然のように長く、家事育児なんてできない。それは、母親だけでなく、男性、父親にとっても苦しい状況であった。

まだまだ古い体制は残っているけれど、男性の職場においても、次第に家事育児の一部を担えるだけの状況ができつつある。

しかし、それがまだらだから、また、男性側も古い考えのままの人もいれば、新しい考えを持つようになってきた人もいる。

そのまだら状態だからころ、一部では当然とされている考えが、あるところではまったく受け入れられない。

それが炎上の燃料になっている。

私が考える、現在の批判の構造は、母親たちが、古い男性社会を批判し、新しい考えに順応した男性たちが、批判ばかりを繰り返す母親たちを批判するものではないか。

そして、実はさらに先にいる母親たちは、順応性した父親を褒め始めている気がする。

この構造から考えると、さらに先に進んだ男性は、その父親を褒める母親を褒めるのだろう。

 

なるほど、未来は明るい。

 

お互いに、褒め合い、感謝を伝え合い、不満は小さなうちに明るく伝え、それに応じてくれたことに対してまた感謝を伝える、そんな社会が近いと感じる。

今は過渡期。

 

もう少し書きたい。

やはり今は以前よりもずっと良くなっている。

女性側の出産前後の負担は、既に相当言語化されて、それはもう当然のように相当広い範囲の男性に認識されている。

ヒステリックな批判が繰り返されているけれど、やりすぎな演出が山ほどあるけれど、その中で、正しい情報が伝わっている。

ホルモンバランスが崩れるとか、眠れないとか、傷が治らずにきついとか、そういう訴えが、どのような形であれ、しっかりと男性側に届いているのは良いことだ。

 

最後に、ヒステリックになっている母親に辟易としている父親に対して、何をやっても攻撃してくる母親に対してどうしたらいいか。

実は、家事を手伝おうとしているにもかかわらず助けを振り解いて噛み付いてくる彼女たちにも、本当に嫌いな家事がある。これに対しては、こちらの助けを受け入れてくれやすい。

それは、汚い家事だ。トイレ掃除、シンクとお風呂と洗面所の排水溝掃除、テーブルの下の子どもが投げ捨てたご飯の片付け、家中のゴミ箱をきれいにすること。

臭い、ネトネトする、などが得意なんて人はいない。これを毎日毎分気にして、直ちにきれいにして回るだけでも、狂気に囚われた母親が正気を取り戻しやすくなる。

コミュニケーションがとれるようになったら、少しずつ仕事を取り上げていけば、次第に元の魅力を取り戻すはず。