大人のいじめ、Facebookとヘイトスピーチ
アメリカのある黒人の方を警察官が殺してしまったことを発端として、Facebookのヘイトスピーチへの対応が問題を呼んでいる。
トランプ大統領が、略奪が始まれば銃撃が始まる、という発言をFacebook上でした。
これが、ヘイトスピーチに該当するかどうかという問題だ。
この言葉には、元となる言葉があり、略奪に対して、公権力が銃によって鎮圧するという意味に捉えるのが適切なようだ。
ただ、Facebookは、これを、略奪が始まれば、市民による銃撃が始まる、と理解したそうだ。
自分が最初に読んだ時は、その文を読む前の文の影響を受けたからかもしれないけれど、公権力による鎮圧の意味だと理解した。
トランプ大統領の性格からしても、強権的な発言をしそうだから、それで間違い無いだろうと思ったし、市民による銃撃のことは思いもしなかった。想像力が足りないだけとも言えるけれど。
ただ、Facebookの主張が全く受け入れられないとは思わない。
一つの価値観として、受け入れられる。
解釈は人によって異なりうるものだし、Facebookの見解を知った後にその文章を読むと、なるほど、そう読むひとがいるのも当然だと思った。
それに、暴動をやめろ、というのは、どんな立場であっても正しいと思う。遺族の方だって、暴動までは望んだいない。
市民の方だって、暴動が起きたら、公権力を使ってでも、抑え込んでもらいたいと思う人だってきっとたくさんいると思う。
それで、Facebookの対応は、自分としては、認められる。
本当に、十分に調べたとは言えないから、支持できるとまでは、言わないけれど、少なくとも一企業の立場として、認められる。
多くの企業が、Facebookの対応を批判して、広告を依頼しないという対応までとった。
なぜ、そんな対応なのか?
アメリカの現状は、かなりパニック状態。
いつでも炎上が起きかねないし、刺激するようなことは企業もしたくない。
そもそもヘイトスピーチをゆるすつもりもないだろう。
それで、流れが、Facebook=ヘイトスピーチ容認、と判断されているから、ここで、Facebookに広告を載せたら、一緒に巻き添えをくって、広告依頼企業まで、ヘイトスピーチ容認と判断されかねない。
それで、本当にFacebookの対応の是非まで判断せずに、Facebook=ヘイトスピーチ容認、という前提で動いているのではないか。
いじめられっ子をいじめっ子と一緒になって苛めないと、今度は自分がいじめられてしまう。
そんなことを大手企業がやっているんじゃないか?
もしそうなら格好悪い。