これだけは守ろう、記事を書く

こんにちは、ブログ初心者のガウスです。

 

初心者だから、書き方を気にしています。

誰かがまとめてくれていたら、それを見て、自分も応用させてもらおうと思います。

 

徹底的に、ブログの書き方を書いている人の記事を読み込み整理すれば、価値のある記事になりそうですね。

 

そこまで全然してないんですが、読んで理解したことを少し。

 

文章を短く。40文字程度を、最大の長さとする。

固有名詞や数字を使って具体的に。

論理を飛躍させない。

読み返して、テンポを大事にし、修正。

読む価値のある話を、伝わるように。

 

この記事は、学ぶたびに修正を加えて、充実させたい。

 

実際に、しっかり調査までして、その結果をまとめたいです。

人と向き合う②

こんにちは。選挙には最近行くようになったガウスです。

 

先程挙げた記事では、選挙の時だけ連絡を貰っちゃうと、なんかちゃんと向き合ってもらえてないな、って、強く実感してしまって、ショックで嫌な気持ちになってしまう、ということを書いた。

 

でも、向き合ってないのは、自分も同じだった。

 

だって、そうなの?なんでその人が良いと思うの?と、訊ねなかったから。

いや、本当は気まずくなりたくないんだよ。

相手だって、何も考えがないかもしれない。

誰かに頼まれたらから、色々と電話さているのであって、全然本気で応援してないかもしれない。

もしそうなら、質問なんてして、相手に恥をかかせてしまっては、嫌われてしまうだけだ。

そんなことよりも、時間を短くするために、勝手に失望して、短時間で話を切り上げるようなことをしてしまっていた。

 

空気を読まないんじゃなかったのかよ。ガウス

 

自分のこと価値観、直感にしたがって、人に誤解されても、無駄に嫌われても、それはそれで良いと思ってきたじゃないか。

 

なぜ、せっかく連絡をくれた友人に対して、何で、応援してるの?の一言が言えないんだ。

 

初めから諦めているんじゃないよ。

ちゃんと向き合えよ、自分。

少なくとも、選挙について、自分が思っている疑問だけは、しっかり解消しよう。

相手に面倒くさいと思われたっていい。

でも、もしかしたら、自分が訊いたら、嬉々として、語り始めるかもしれない。

 

次からは、答えてくれるのなら、自分の疑問が全て解決するまで、徹底的に訊いてやる。

そうやって、自分も人に向き合おう。

 

人と向き合う

こんにちは。空気を読まず、友だちの少ないガウスです。

 

業界で選挙がありまして、色んな方から久しぶりの連絡をもらって、誰に入れる?入れる人が決まっていないなら、〇〇さんに入れてくれない、的なことを言われる。

 

それが、一定の効果がある、ということを聞いたことがある。

効果があるなら、する人はいるだろう。

 

それでも、ちょっと嫌な気持ちになる。

それはなぜなのか。

 

自分の利益のためだけに、連絡をしてくるのが嫌なのかな。

 

そういうことってあまりないよね。

 

仕事がら、色々と相談を受けることはあるけれど、それは全然嫌な気がしない。

お金もらってやっていることについて、気軽に無料を前提で相談されて、それに不満を覚えることもないではないけど。

無料で相談よりも、電話で気軽に相談されて、大した情報もなく、表面的な一般論だけで終わって、しかし、その話した内容を元に、うまい結果が出なかった、悪化したわけではない、時に、責任を押し付けてきた人には本当に困った。

もう、この人とは付き合ってはいけないな、と思ったので、ほとぼり覚めて、謝ってきたけど、もうら付き合わないと決めた。

 

脱線しちゃった。

 

入れるひとが決まってなければ、〇〇さんに入れてじゃないよ。

 

それ完全に、舐めてるよ。

 

もっと本気になれよ。

 

本当に、申し訳ないけど、5分だけ時間をください。次の選挙で、どうしても受かってほしい人がいるんだけど、その人のことを理解してもらえたら、きっと応援したいって気持ちになる人もいると思う。

君がそんな人かどうかはわからないんだけど、でも、〇〇ってことに違和感は感じてたらしないかな。

僕は、こんな風に考えているんだよ。

〇〇さんは、こんな風に考えて、僕は彼を応援したいんだよ。

もしも、こんなことに価値があると思ってもらえるなら、きっと、彼に一票入れるといいと思う。

ごめんね。こんな話した突然して。

もし、少しでも興味を持ってもらえたなら、何でもボクの方からでも、直接彼からでも、答えられるんだけど。

 

なんて、話ならいいのかな?

 

何が違うかというと、自分に向き合う気持ちが、あるかどうかということかな。

選挙のことで、電話してくるぐらいなら、ちゃんと向き合ってほしい。

なんかいい加減な、手短な電話だけだと、彼と自分との関係は、本当にそんなものなんだなって、とても失望してしまう。

 

嫌だなと思うのは、きっと彼が自分と向き合うつもりが全くないんだと気づかられるから。

てんで、自分と価値観が違ったとしても、彼が当選してほしいというその背景に、全然共感できなくても、ちゃんと話してくれさえすれば、全然嫌な気はしない。

時間を使ってしまっても、別に損したなんて思わない。

 

でも、自分が人と向き合っているわけではなくて、いつも型通りで、自分の価値観を理解してもらおうとなんてしてなくて、というか、共有したい価値観も何もなくて、選挙で勧誘なんてしてないけど、でも、結局、にたようなもんだと思った。

 

自分が友だちだたら思っている人は、自分が腹を割って話したら、きっと理解しようとしてくれるよ。

会って、飲まないと話せないなんてことはない。

遠くに住んでて、久しぶりに電話をしたっていいと思う。

 

何となく顔が思い浮かんだから、電話してみたんだ。最近、こんなことを考えているんだけど、ガウスはどう思う?

なんて言われたら、最高じゃない?!

 

忙しくて普段は全然会えないんだけど、何気なく、何か話せたら良いよね。

ダメ!ネットリンチ

こんにちは。初心者のブロガーのガウスです。

 

前の記事が、全力で謝罪してほしい、という題でした。

 

でも、これって、自分の考えと矛盾するんじゃないの?

 

だって、芸能人が不倫した時、これを面白おかしく騒ぎ立てるメディアも、ネット上で叩く人にも、不満を覚えてきたじゃないか。

 

あなたたちが叩かなくていい。

被害者が言えばいいんだ。

みんなが騒げば、被害者が負担に感じる。

あることないこと騒いでいるんじゃないよ。

 

そう思っているのに、自治会長のせいで、障がい者が亡くなると、他人の自分が、前略で謝罪をしてほしい、と思ってしまう。

 

これは、他人のすることには、厳しく、自分に甘いということか。

 

障害者の被害には憤っていいけど、不倫はダメなのか。

 

不倫の時に、盛り上がり過ぎているからか。

これが何の流れもなく、ただ、自分だけが単独で、不倫を批判していれば、そんなに不満を言うほどではない。

 

つまり、流れになることが格好悪いと言うことなのかな。

 

大多数の人が、自治会長を批判しはじめたらどう思うかな。

 

そうか、きっと、ネット上で多数派を作って、人を批判することに不満があるのだ。

自分の思いを呟くぐらい、大したことではない。

 

自分の心に問うてみる。

 

 

全力で謝罪してほしい

こんにちは。最近、Twitterを始めたガウスです。

 

色んなSNSを最近になって始めています。

 

今日読んだ記事で気になったのは、ちきりんさんのTwitterで、自治会長が、障害者から班長になるかもしれないくじを時代したいというのであれば、障害者であって、何ができて、何ができないかを書かせて、それを張り出して、住民の理解を得た、それで初めて、班長を選ぶくじを引かないで済ませてやろう、とやったところ、翌日、自殺されたということが起きて、遺族が自治会長に、損害まで賠償を求めたというもの。

 

なんともやるせない話である。

 

自治会長もつまらない正義を振り回しやがって。

 

しかも、自治会長は、適切な業務だったと裁判だ主張しているらしい。

 

ほんと、どうしようもない大人はいるものです。

 

ただ、こういう人はどこにでも一定の確率でいて、我々は、こんなひとがいても、誰もが苦しまなくて済む仕組みを考えていかないといけないのでしょう。

 

誹謗中傷とかも同じかもしれませんね。

 

これって、自治会長がしたことは不適切だった、違法だった、ってことはすぐに認められるでしょう。

 

でも、自殺することまでは、予想できなかった、なんて言われてしまうかもしれません。

 

予想外に生じた、予想できないような損害は、賠償義務を負わなくても済むのだったと思います。

 

当然、名誉毀損とか、脅迫行為とかに対する慰謝料は認められるのでしょうけど、自殺にかかる損害については、どこまで認められるか。

 

自治会長がしたことは問題だけど、きっと犯罪としては扱われない。

 

世の中には、パワハラ名誉毀損とかたくさんあるけど、でも、自殺までする人がそれほど多いわけではない。

 

誰かが、たまたま来るまで事故を起こしちゃって、被害者は転んだだけだったけど、そこで時間をかけてとられて、電車に乗れず、莫大な利益を産む取引が大切できなかった、とかの時には、取引を締結できなかったことによる損害までは請求できない、みたいな感じかな。

 

うーん。なんてつまらない例え話なんだろう。これが、ユーモアがないということだね。

 

誰も、そうそうそういうことって、自分の身近な例だと思ってもらえないもんね。

 

難しいな。

 

例をあげるのが必要なのかもわからないですけどね。

 

まぁ、でもショックを受けましたり

 

そもそも生きていくのがたいへんな障害者の方が、さらに苦しいと思いをして、それで、自殺してしまうなんて、全く自分とは関わりのない人ですけど、悲しくなってしまいますね。

 

障害を負った人がたいへんな思いをしているって、社会で共有するしていることではないんですかね。

 

間違っていなかったなんて、言っているけど、損害賠償責任を負いたくないあまり、心にもないことを言っているのだと思いたい。本当は、後悔していてほしい。

訴訟になると、そういうこともありますよね。もしかしたら、責任を負いたくないから、反省の気持ちがあるのに、責任を逃れるために、嘘をついてしまうなんてこと。

 

全力で謝罪をしてほしい。

 

 

ブログを書く理由

こんにちは。ブログ初心者のガウスです。

 

初心者アピールは、やめたほうがいいですよ。

だれも得しませんからね。

自信ないんだなっていう、言い訳になってしまう。

 

まぁ、そうなんでしょうね。

 

ただ、初心者だから価値があるってこともあるてしょ。

今だから感じることとか。

もしかしたら、私が将来売れたら、最初の頃に書いた記事の読む価値があるかもしれませんよ。

あー、こんなことを書きながら始めたんだって。

 

あの頃は、こんなこと書いてて、ほんと、下手くそだったって、言いたいですね。

 

というわけで、今のところ、誰の得にもならないブログも書いていきますよ。

だって、これは、だれのためでもなく、わたしのためなんだから。

ブログの書き方

こんにちは。初心者ブロガーのガウスです。

 

現在どうやって読んでもらえる記事を書いたらいいだろうか、と考えています。

 

心に響く文章が書けたらいいですね。

 

自分で何か経験して、それでこころが動いたら、なぜ、それに対して心が動いたのかを考えてみる。

 

それから、それを作った人がどんなら考えで、そんな表現をしたのか、考えてみることがきっと有効だと思います。

 

方法論はそれで良いとして、では、実践できるのか?

 

何となく読んだブログ記事で、ほろっときました。

 

おっ、ここで、考えてみるのが大事ですね。

 

ある母親が子どもを産んで、里帰り出産した時に、実家の母が、子どものお守りをしてくれて、夜中に寝かせてもらった。

 

寝ている間に、母が子どもに話しかけているのが聞こえた。

 

母は子どもに、母親が子どもの頃に、母が高齢出産だったことから、おばあちゃんと間違えられることがあったのだけど、いちいち、訂正を求めて、謝ってとまで言ってくれていた話をしていた。

 

見た目が高齢であることを申し訳なく思いつつ、訂正をしてくれたことが嬉しかったとのこと。

 

そんな風に感じていたのだと知った時、母親は、嬉しい気持ちになったそうだ。

 

そして、見た目については、ずっと気にしておらず、むしろ、仕事をしている母親をカッコいいと思っていたとのこと。

 

母は、子どもが成人する頃にはいなくなっていると話しているけれど、母親は母に親孝行がしたいから、長生きしてね、と心のなかで思う、という話。

 

きっと、心が動いたのは、人が自分に対して思っている本音が聞けたからだと思う。感謝の気持ちを知ったり、こんな思いをしてたのか、って知った時に感動するのかもしれない。

 

でも、その裏にあるのは、人の本音を知ることはとても難しいということがある。

 

今回の母は、娘に聞かれているとは知らずに、赤ん坊に向かって話していたから本音だと分かった。

 

けれど、もしも、これが直接娘に話しかけられた言葉だったら、なんか同じようには、素直に感じられなかった時思う。

 

だって、人が人に話すときには、その結果を考えて話しているから、どうしたって、本名でない可能性を考えてしまう。

 

本当にたまたまこんな状況があってこんな話になっているならいいけど、わかっていて、こんな話を作ったのなら、何となく、興醒めだな。

 

どんな意図で、こんな話を作ったのだろうと考えてしまうと、色んな事が興醒めになってしまうかもしれないね。

 

人の心に響く小手先の技術だけを身につけるのではなく、自分のこと心と向き合ってそれが記事にできるといいなと思いました。

 

ではまたの